村野健の日記

必要だと思った事だけ書いていきます。

・私が呼吸困難の症状を発症して20年になります。

高校3年の受験が始まる頃発症し、大学入試ではパニックになりながらテストを受け、なんとか大学に入りましたが、授業中、呼吸困難で席に座っていられず大学を中退。その後、呼吸困難の病気のせいで定職につけずに38歳になりました。

 

茶店で座っている事もできず、映画館で映画を見る事もできず、床屋で髪を切る時は、混乱状態のまま死ぬ気で我慢して耐えています。当然、友人、恋人等をつくる事もできません。

 

医者に相談して精密検査をしても悪い所はない、と診断され、様々な薬を処方されましたが、どれも効く薬はなく、今でも、呼吸困難に苦しんでいます。

 

このような症状を持っている身として、私の中に、これを読んだ方に、世の中にはこのような症状で苦しんでいる人がいる、という事を知ってもらいたかった、という思いがあったのかもしれません。そして、それと同時に、普通に生きられる幸せを体感してほしい、その普通の生活を希求して19年間もがいている私のような人がたくさんいる、という事を知ってほしいと思いました。

 

そのようにして、何気ない事の中に大切なものがある、と思い至る事は、とてもよい悟りなのではないか、と最近思うようになりました。

 

 

 

サリン事件から30年 当時の報道振り返る 元報道部長「情報の送り手にこそ情報を読み解く力の向上が必要」 (テレビ信州) - Yahoo!ニュース

 

痛ましいサリン事件から30年が経とうとしています。当時の事件を知らない若者も増えてきた最近では、いまだに信者の数が増えている後継団体もあるそうです。

 

当時の事件を反省してお詫びと謝罪をしている、ひかりの輪のような団体もあれば、動きがよく分からないアレフのような団体もあり、教祖の遺骨の受け渡し問題が決着しない事などからは、オウムの事件がいまだに解決していない事がよく分かります。

 

当初は、平成の事件は平成で決着させる、という方針があったと思うのですが、遺骨が崇拝に利用される、という理由でいまだに問題が進展しない現状は、どうにかすべきだと思います。

 

オウムの事件は、忘れてはならない惨劇であり、後世に伝えていくべきものであると思うのですが、事件に付随する問題がいつまでも解決しない事も問題である、と思います。

 

事件の問題自体は終結させて、悲しみを終わらせ、その後は、オウムの惨劇は、後世に伝えるための伝承と記録としての形に移行させていくべきなのではないか、と思いました。

 

いずれにせよ、オウム真理教の被害にあわれた方々が、安らかな生活を送る事ができ、教団にまつわる問題や事件が早く解決する事を祈っています。