村野健の日記

必要だと思った事だけ書いていきます。

人は、困難な状況や危機的な状況に陥ると、正しい考えや映像だけでなく、「不適切な映像」や「不適切な声」なども含めて、様々な考えが「思い浮かぶ」ようになっています。そして、それによってさまざまな選択肢の中から、危機を回避する行動を取る事ができるようになっています。

 

この時の思考は、「人為的に」あれこれ考える時と異なり、勝手に「思い浮かぶ」、浮かび上がってくる、といった方が適切であり、これは走馬灯のような現象にも当てはまると思います。

 

走馬灯は、死という危機的状況を回避するために、今までの人生の出来事が思い浮かび、回顧される現象であり、これは人間の持つ不思議な性質だと思います。

 

しかし、私は、このような現象は、正常な状態を保つ上で「よくない事だと思います」。

 

自分の「思考」という物は、「外部からの干渉によって」働きが増したり、120%稼働して「色々な考えが思い浮かぶ事もあるのですが」、個人的には「そのような状態は正しい物ではなく」、考える時は、心を穏やかに保ち「常に自然な状態を維持する事が大切だと思いました」。

 

これは、仏教や禅の本を読んで教えられた事であり、思考を必死に巡らせる事が大切な事もありますが、基本的には、周囲と調和した穏やかな思考で考え事を進める事が、大事なのではないか、と思いました。

 

「良い考えも」「悪い考えも」、必死になって考え過ぎている時は、「外部からの干渉」に対して無関心になってしまったり、「よくない」事も多いと思います。なので、考え事をする時は、「内部から湧き起こる穏やかで自然な思考を大切にすべきであり」、考えに考えを巡らせて思考の迷路に陥るのではなく、考えていても「自然な状態との調和を大切にするべき」だと思いました。

 

例えば、私も、考えに考えを巡らせて必死に考える事が大切だと思っていたのですが、そのような状態で、一分一秒を惜しんで考え事に集中し、食事中も色々と考え事をしているような状態だと、家族との時間が損なわれてしまうなど、最も大切な部分が軽んじられてしまうのでよくない、という事に気付きました。

 

また、必死で考えている時も、思考が堂々巡りをしている事が多く、ストレスもたまりやすいような気がしますし、逆に、冷静に、自然な思考の流れを大切にしている時に、良いアイディアが浮かぶという事もあります。そのような事を考えた時に、自然で穏やかな思考をする事の大切さに思い至ったような気がします。

 

仏教や禅の本には、このような考えの要諦が書かれているので、興味のある方にはおすすめです。